佐久総合病院ニュースアーカイブス  





 ここのところ、ガラス窓から入ってくる日射しが穏やかである。日射しは日を追うごとに、部屋の奥まで伸びてくる。そのうちに、縁側に置いた長イスでお年寄りたちが日向ぼっこを始める。ちょっと早いポカポカ陽気に、早まった猫が、早くも発情したのだろうか、息の長い絡みつくような鳴き声を放っている。「おらとも鳴いてみようか」色気の失せた?声が妙にハモっている。鳴き声を止めて職員が言った。「昨夜、じいちゃんの夢を見ちゃったぁ」。
 中程度の認知症のあるじいちゃんと話す時は、じいちゃんの注意を、こっちの話に向けてからでないと上の空である。じいちゃんの返事の多くはファウルである。でも今日はちょっと違う。声の主が誰なのか戸惑っているものの、視線を四方へ向けながら、「そりゃ聞き捨てならねぇな。穏やかじゃねぇな」と。続けて「それには、答えてやれねぇな」ハッキリした返事に穏やかな笑いが広がった。
 お年寄りたちにもそれぞれの青春がある。81歳になったばかりのじいちゃんは、小柄ではあるが目鼻立ちも良く、会話の中に英語が交ざる。「トゥデイズ ランチイズ グッド テイスト、ごちそうさま」「それではキャプテン征矢野」このキャプテンが時々チーフになったりするが、多くはこの二種類がお決まりの、イングリッシュである。じいちゃんは、終戦後国際外国語学校へ行き、その後進駐軍で、通訳に少し関わっていたという。日本語の中に散りばめた英語の発音が、身なりと対照的にハイカラである。
 じいちゃんは若い頃、1人の素敵な女性と結婚している。じいちゃんはその女性を妻とは言わず、「娘さん」と言う。じいちゃんはいっぺんに、その娘さんとお腹の子どもを失った。それ以来、じいちゃんは結婚が嫌になったという。
 じいちゃんの特有のこだわりと几帳面さに時間は費やされる。話や風呂、着替えや買い物には覚悟が必要である。でも食事は、箸を持ち食べ終わるまで、一呼吸も置かないほど早い。しかも、食事中はどんな声も、じいちゃんの耳にはほとんど届かない。
 じいちゃんには、「ウブ」なところがたくさんある。かつて、高等小学校の時に初恋したおばあちゃんの隣に座るときは、特に頬を紅潮させる。好奇心の旺盛だった若い頃、隣村に「女優のような別嬪さん」がいるという評判に、番長だったじいちゃんは、男衆を率いて一番乗りで見に行ったという。
 じいちゃんの隣に座って、重ね着したコートや、はずれているワイシャツのボタンをばあちゃんが留めてくれている。そんな2人の姿に、70年前の時代が重なる。
 お年寄りたちの若き頃は、戦争や食糧難で、国や家を守ることが優先だった。じいちゃんが言った、「一番美しい時に、一番輝ける時に、世の中が平和であることが何よりだ」と。