広く舗装された道の脇に、見事に咲いた背丈の長いコスモスが風でなびいている。ばあちゃんは、厳格な夫に一度も自分の意志を通したことはない。そんなばあちゃんに物忘れが始まって五年間、何とか二人の生活が続いていたが、娘さんは限界を感じその直後に同居を決意している。それは、ばあちゃんの草刈りの姿を見て、母親の認知症を現実の問題として受け止めざるをえなかったという。元来得意である草刈りなのに、その日のばあちゃんは、鎌を何度も同じ方向に向かって振り下ろしているだけで、一向に草が刈り取られていく様子がなかったという。

筆者近影(2008.09)
 あれから7年、すっかり認知症が進んだばあちゃんは、弁当づくりに忙しい娘の後ろ姿に誘われて、何とか寝床から起き出してくれた。立ち上がりのリズムが止まらないうちに、動作は素早く、むしろ声かけは努めて穏やかにゆっくりと奥座敷のトイレへ誘導する。簡易トイレのペダルが大便の音で、鈍い音をたてると、湯気の出たタオルで優しくおしもを拭き取る。手すりに捕まった手は肘から屈曲しているが、全身を支えるには十分力を持っている。反面膝から細くなった下半身は小刻みに震えている。いよいよ朝晩の冷え込みが日に増して強まる覚悟の時期がやってくる。今日のばあちゃんの動作リズムはまだ順調だ。洗顔をすませ、矩健の定位置に座らせるまで一連の動きが流れていく。ばあちゃんのお気に入りの毛布で体を覆うと、いい顔して「ありがとう」という。2年後の介護保険制度を見越しての、巡回訪問介護の導入である。
 毎日4回、特に娘さんが不在の昼間のトイレ誘導が至難の業である。ばあちゃんは子どもの頃の愛称で呼ばれるのを好んだ。「けさちゃん、そろそろトイレはどうですか」ばあちゃんは「恐れ入ります。すみません」と、一向に動かない。「けさちゃん、さあ一緒におしっこに行こう」「姉さんからどうぞ。ありがとう」と頭を下げるだけ。ばあちゃんを「ちゃん」付けで呼んだのは、別にばあちゃんを子ども扱いにしたわけではなく、目の前に白髪の老婆が存在しながら、子どもの頃になりきっている過去と幻の区別のつかない世界があり、しかも、多分近い未来に起こる失禁・全更衣、というできごとの予測とも全く嫁がない、体と心が瞬間瞬間にかけ離れている、「認知症の世界」に合わせていくのに、都合が良いからだ。
 やはり今回は残念ながら幕閉めかと、次の訪問時の汚物の処理と、全更衣を密かに覚悟しっつ窓を開ける。そのときばあちゃんの視界に色鮮やかなコスモスが入った。「まあきれい、コスモスだよ」と少女の声を上げ、瞬時に腰をスッと持ち上げ腕を絡ませた。このままコスモス畑の卜イレにお連れしましょうね。たとえケアが上手くいかなくても、今はただ、ばあちゃんの気力をケアの味方に付けることが一番だ、とみんなで確認し、手段をあれこれ模索しては行動で試すケアをした。
 あれから10年、そして介護保険制度が導入されて8年。利用者の自己決定・自立支援に向け、問題解決手法のアセスメントから、強みを伸ばし、弱み支援するアセスメントへ、さらに最近では、意欲を引き出し○○がしたい気持ちを表出させ、意欲を獲得するアセスメントへケアがシフ卜してきた。それは、ケアに携わる多くの実践者たちが、お年寄りと向き合うことで、日々気づかされてきたケアの柱・大事な視点である。やちほの家で大切にしてきた、「生活やいのちの主役は利用者(住民)」は、佐久病院の「ともに」の精神と繋がっている。この10年で福祉の考え方が大きく変わった。考え方が変われば行動も変わる。そして、行動からまた考え方が発展する。人が大切にされ、活かされることから大きな力が生まれることを、福祉現場から教えていただいた。(完)