師走は1年のうちでも1番日が短い。冬至のカボチャにレンコン、こんにゃくをどう料理しようかななんて考える日も近い。食べ終わった次の日からは、米粒1つずつ日は長くなると年寄りは言う。日が長くなるのと日が短くなるのとでは、年寄りたちの気持ちも職員の覚悟も違う。時計よりも、お日様の明かりの力加減で、行動が慌ただしくなる年寄りたちに、合わせていくのも忙しいのである。
やちほの家は、西に子持ち山といわれる山を抱え、御多分に漏れず、山林の手入れが行き届かないために、木々はお化けのように茂り、日差しを遮っている。 墓場のご先祖様も、日が当たらないような日陰でさぞかしお寒いらしい。特に冬場は太陽が低空移動のため、2時前にはすっかり薄暗くなってしまう。
午前中の包丁とまな板の音、にぎやかな笑い声、お勝手に風呂にトイレに外仕事にと人の行き来に活気があって、いのちの勢いさえ感じられる。お昼を食べ、口を綺麗にし、昼寝の段取りをする。お日様の臭いのした毛布を首まで掛け、丸くなった背中の先にある足をコタツにうまく収める。「どうかゆっくり休んでくれますように」
残念ながらこの思いは今は大概裏切られる。決まって不穏になるお年寄りの横に学生や研修医に寝てもらう。寝入っている若者、始終ゆっくり休めない、不安が襲う認知症という病気。年を取ることはそうは甘くない。
静かな空間も寝入って20分位すると動き出す。排泄行動、帰宅欲求、離設行動と。職員は1人ひとりに寄り添いながら対応していくが言い出したら聞かない。「家に電話をかける」「大事な用がある」と頻回に繰り返される行動に根気負けしない勝負が始まる。薄暗い曇りの日は、あれこれ言葉を変えての対応だけではうまくいかない。別部屋での対応、車内での対応、ドライブ対応、散歩対応など1対1の行動ケアが求められる。
昨日も小雨が降ったり止んだりの薄暗い午後になった。30分の押し問答の末、じいちゃんは出ていった。付き添う職員に杖を振り回し、普段のおぼつかない足取りは勢いを増し、背中まで怒りを表して、道を下っていく。「困ったな。一緒に戻ろうよ」、「うるせぇ」、
「うるせぇ」、職員を杖で田へ突き落とそうとする。後ろから「プーッ」本人の進行方向を遮るように車を止めた。「タクシーだよ。乗っていくかい」、「オゥ、乗せてってくれるかい」、とやちほの家の車に乗り込んだじいちゃん。実のところ困っていたのは職員だけでなく、じいちゃんもだった。頑固さと素直さのギャップに思わず吹き出してしまう。
もちろんその後、車は自宅の見えない道をすり抜け、カインズホームへ直行。「降ろせ、何処へ行く」、「用事をすませるのが先。じいちゃんは連れてってもらう人でしょ」車内での押し問答の軍配は私に上がった。「高い物買ったから盗まれないように留守番していてよ」とまた店内に入っていく。何回も車の中に積まれる荷物を見ながら、1時間以上も車で荷物の番人になっていた。今日は抜けるような晴天。じいちゃんは昨日脱走したことも買い物に行ったことも忘れている。
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