〜「農民とともに」No.99〜
八千穂村健康管理 |
裸を見せるのはイヤだ 村ぐるみの健康管理が始まってから5年の歳月が流れた。年1回の健康診断は、次第に住民の中に定着しつつあったが、必ずしも全部が全部そうとはいかなかった。中には検診はどうしてもいやだという人も少なからずいた。 衛生指導員会長だったトラさんは、こう述懐する・「あの頃は、人に裸を見せるというのは本当にイヤだったんだ。それに食事の状況を人に聞かれることはなによりもつらかった。とくにお年寄りは余計そうだった」と。 裸を見せるのはイヤだということのなかには、裸自身よりも、ボロボロの垢だらけの下着しか着ていないのに、それを見せるのはとても恥ずかしいという気持ちもあったと思われる。それだけ皆が一様に貧しい時代だった。 検診を受けない理由
いちばん多かったのは、「ふだん健康でどこも悪くないから」というのであった。「自分の体は自分がいちばんよく知っている。現在どこも具合わるくないし健康だから、検診なんか受ける必要はない」というのである。 次に多かったのは、「病気がはっきりするのがこわい」という答えだった。すなわち「自分はいま具合が悪い。だから病気をみつけられるのはとても怖い。もし入院して手術が必要だと言われたら困る」というのである。当時は入院して手術になると、一家が破滅するくらい莫大な医療費をとられたから、それを恐れていたということもある。そのほか、「仕事が忙しくて受けるひまがない」とか、「病気で医者にかかっているので」というのもあった。 根本的には、健康診断の意味がまだよく分かっていないということになる。まだまだ健康教育が必要であった。 本当のことは答えない それに検診の際の問診−なかでも食事の状況を聞かれるのがイヤで、検診へ来なくなったという人もかなりいた。これはトラさんの言うとおりだった。食事の状況は昭和30年代当時はあまりよくなかった。なにしろ盆と正月しか肉を食べないという時代だったから、食事の内容を問診で聞かれるのは受診者にとってつらいことであった。だから決して本当のことは答えなかった。 「家では卵はどのくらい食べていますか」という問いに、「大体皆毎日一個は食べてやす」とお嫁さんは答えるのだが、その家のおじいさんに聞くと「一週間に一個ぐらいかな」という返事。子どもに聞くと「全然食べてないよ」という調子だった。そこで問診のやり方を大勢の前で聞かずに、一人ひとり分けて聞くやり方に変えたのであった。 一方、検診を機会に栄養調査なども本格的に始まって、地域の栄養実態が分かるにつれて、食生活に皆が気をつけるようになった。トラさんの家は店をやっていたが、やがて毎日肉や魚が売れるようになったという。 俺たちはモルモットか 受診率はすぐ他の地区のものと比較される。これが衛生指導員の悩みのタネだった。指導員の集まりのとき、「お前の所ばかりなぜそんなに受診者が少ねえだよ」とすぐ話が出る。すると、「よしきた、こんちくしょう。来年をみておれ」と大抵ケンカになる。 衛生指導員が受診勧誘に回るといろいろいや味を言われることもあった。「この検診は佐久病院がデータを集めるためにやっているんではないか」とか「俺たちは病院のモルモットか」とか、最後には、「お前たちまで病院の手下になってやっているだか」とまで言われることもあった。その度ごとに衛生指導員はくやしい思いをした。 だから衛生指導員たちはよく酒を飲んではうさ晴らしをした。「いやだという人はもういいじゃねえか。早く死にてえだから、もうほっとけ」と、自暴自棄になってしまうこともあった。 また「俺の地区の受診率が下がってきたのは俺の責任だ。俺は責任をとって衛生指導員を止める」と言い出す指導員も出てきた。そこで若月先生から、「あまり受診率の数字だけにこだわってはいけない。一人でもいいから健康の大切さを理解してもらうことが大事なのだ」と諭され、やっと納得したという一幕もあった。 夜の検診もつくって
勤め人が増えて、昼間の検診が受けられないということもあったので、検診時間を延ばす工夫もした。病院と相談して、地区によっては検診の受け付けを夕方6時までと1時間延長した。その結果、勤めから帰った人がどっと検診に訪れるということにもなった。だから実際に検診が終わるのは8時近くになるのがしばしばだった。 それから寝たきりなどで、検診に来られない人には訪問検診も始めた。いわば往診による検診だった。これはお年寄りにはとても喜ばれた。 ともかく衛生指導員たちは、受診率を上げるために競争で努力した。ケンカもよくしたが、これは仕事熱心の結果からであった。(かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
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