〜「農民とともに」No.106〜
八千穂村健康管理 |
束の間の医療費無料化 沢内村見学からしばらくして、老人福祉法が改正され、昭和48年には、70歳以上の老人医療費の自己負担分が全額給付されることになった。沢内村のように60歳以上というわけにはいかなかったが、これには老人たちが喜んだ。 当時、開業医だった出浦公正医師もこう話している。 「一部負担金を村で払うから、病院では払わんでもいいということになって、入院した人たちは感謝したですよ。おれたちは金を払わなくても、看護婦さんたちが送ってきてくれて、お大事にといってくれるといって。他の人は10日ごとに一部負担金を払わなければならないし、たとえ明日退院していいと言われても、そのお金を払わなければ帰れないから」と。 ところがこれが長くは続かなかった。やがて昭和58年に老人保健法が施行されることになって、老人福祉法が廃止になり、老人医療費の一部負担が復活した。老人医療費の急速な増加がその理由とされた。束の間の老人医療費の無料化だった。 しかし沢内村では、国の反対にもかかわらず、その後も60歳以上の医療費無料化をずっと続けているのはさすがだといえよう。 各地から要望が高まる
とくに要望が強かったのは農協婦人部であった。婦人部は以前から、年1回の健康診断を健康保険でみるように国に要望していた。しかし八千穂村だけでも、全村を回って検診をするには約3カ月かかる。各地でやってくれと言われてもとても無理だと思われた。 ところが技術革新がそれを可能にした。オートアナライザー(血液自動分析装置)の開発とコンピュータの発達である。早速、長野県厚生連では、昭和48年に佐久病院に「健康管理センター」をつくり、設備を整えて、新しい健康診断の方式を実施することにした。オートアナライザーでは、僅かの血液で16項目もの検査ができるので、貧血はもちろん、肝機能、血糖、コレステロール、尿酸など、成人病診断に必要な多くの検査ができることになった。 この検診方式を「集団健康スクリーニング」(通称ヘルス)と名付け、市町村と農協とが協力し合って、どこの地域でも実施できるようになった。いわば八千穂村は、全県への集団健康スクリーニングを生み出す原動力となったといえる。 新方式に賛否両論 ところが、当の八千穂村では、この新しい方式の採用にはかなり慎重だった。今までの健康管理が発展してヘルスという形ができたのだが、すぐそれに移行というわけにはいかなかった。 問題の1つは料金が大きく変わったことだった。昭和47年度の検診料金は、1人700円だったが、ヘルスでは2000円となった。個人負担は3割なので今までの200円が600円と3倍になる。そして村の負担が1400円となる。「果たして全部の人に、それだけの金をかけてやる意味があるかどうか」という意見が村から出た。 一方、「検査項目が増えてこれで多くの病気が発見できれば、2000円でも決して高くない」という意見もあった。個人負担の増加については住民からとくに大きな反対はなかった。井出佐千雄衛生指導員によると、「住民はある程度村で出してくれるんだというような甘さもあるんじゃないか」ということだった。 医師の説明が最も大切
また出浦医師は、「機械化すれば、医者と住民が近づかないようになってしまうんではないか。受診率を上げるには、医者がよく結果を説明することだ」と述べたあと、「いい成績をあげている陰には、かなりの熱心さの人がいる。これをやるには、本気になってやっていかなければだめだ」という。 出浦医師は、かつて予防注射を10年かけて村民1人残らずやったという。出ない人には、1軒1軒自分で訪ねて、なぜ出ないんだということを話し合ったが、分からない人はいなかったという。 活動のもとはすべて人だ 出浦医師の発言は、従来の検診についての反省でもあった。機械化が悪いというわけではないが、すべての活動は人が中心だ。その基本を忘れては困るというのである。「ただ衛生指導員も家の仕事も一応あるので、どうしても思うようにできない面もある」と井出佐千雄指導員は頭をかいたが、「いや衛生指導員は陰の力になってよくやっている。役場も苦労しているが、これから皆でやっていこう」と慰めたのは、新しく住民課長になった佐藤さんだった。 約半年ぐらいいろいろ議論した末、結局、昭和49年度から八千穂村もこの新しい検診方式を取り入れることになった。地区を回っての説明会が早速始まった。 (かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
![]() |
![]() |
![]() |