〜「農民とともに」No.111〜
八千穂村健康管理 |
健康で長生きしたい 昭和50年に就任した出浦村長は、4年後には健康上の理由で退任することになった。高齢だったこともあり、助役も置かず1人で村政を切り回していたことで、過労が積み重なったと思われる。かわって昭和54年、佐々木澄雄村長が誕生した。佐々木村長は、生来健康には自信があったという。健康なんて当たり前のことで、病気やケガは自分の不注意の結果であり、自分には縁のないものだと思っていた。ところが50過ぎになって、ある日,突然ギックリ腰になり大きなショックを受けた。以来、健康には十分注意するようになり、ジョギングなど体力づくりを熱心に心掛けるようになった。しかも村の健診受診は、最初から一度も欠かしたことはない。したがって村ぐるみの健康管理には初めから積極的だった。村長のスローガンは「80まで達者に生き、3日で死にましょう」というものだった。八千穂村では以前から「日本一の長寿村になろう」というスローガンをかかげていたが、長生きするからには健康で長生きしたい、生きている限りは人手を煩わせないで、楽しい生涯を送りたいというのである。 がん死亡が第1位に
とうとう一晩かかった 早速、衛生指導員会で相談し、受診者の勧誘と取りまとめを衛生指導員が行うことになった。しかし村民中には、胃検診はいやだという人がまだかなりいた。指導員の高見沢佳秀さんが、ある1人暮らしの家を尋ねたときのことである。受診をすすめたが、なんとしても胃検診は受けないという。しばらくして「がんというものは人にうつるもんかい」と聞くので、「がんは別に人
先祖代々胃は悪くない またある家を尋ねたとき、こうも言われた。「家には胃が悪い者は先祖代々誰もいないわい。胃がんなどになるわけがない。だから胃の検査なんて受ける必要はないわ」と。また「がんになればみな死んでしまうだろ。検査で見つけたってがんになればお終いだ」という人もいた。がんは早期がんの時期に発見すれば必ず治るということが、まだ一般には十分理解されていなかったのである。しかし、高見沢さんによると、文句を言ったり、ごねたりする人は、いろいろ説明すれば最後は分かってもらえる人が多かった。逆に「ああ、いいよ。受けるよ」と気軽に答える人は、いざ当日になると受けない人が多かったという。指導員の今井恭夫さんも、当日朝になって、受診予定者の「飯食っちゃったよ」とか「お父さんの弁当を詰めていて、つい海苔があったから口のなかへ入れちゃった」とのキャンセルの電話に、いつもくやしい思いをした。 あとからは感謝された 施設検診では、病院へは村からバスで送迎した。また検診料金も6千円のところ4千円を村で負担したので、「こんなにまでやってくれるの」とか、「有難いことだね」と感謝した人も少なくはなかった。結局、最初の2年間で400人が施設検診を受け、7人の胃がんが見つかり、そのうち4人が早期がんだった。いずれも前年は胃検診を受けていない人で、このうち3人は5年間一度も受けていなかった。命びろいした人は、「衛生指導員さんに誘われて受けてよかった」ととても喜んだ。あとで指導員はだいぶ感謝されたという。 (かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
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