〜「農民とともに」No.115〜
八千穂村健康管理 |
バスで続々と会場へ 昭和59年11月11日。いよいよ「第1回健康まつり」の日である。朝9時には50人の実行委員が村の福祉センターに勢ぞろいした。村民が本当に集まってくれるだろうか。皆心配げに外を眺めている。 実行委員も、それぞれの団体も、自分たちの身近な問題を取り上げ、夏以来苦労を共にしながら、今日まで頑張ってきた。新しいやり方でもあり、1つひとつの企画づくりに、燃えるような意気込みが感じられた。衛生指導員も毎晩集まり、アンケートの集計を行った。パソコンなどない時代なので、1人ひとりが「正」の字を書きながらの集計で本当に大変であった。パネルづくり、資料づくりも前夜遅くまでかかった。 10時の開会20分前には、うその口からの第一陣のマイクロバスが到着し、にぎやかに受付が始まる。山間部のお年寄りたちも気軽に参加できるようにと、マイクロバスが3台用意され、計画的に各地区を回ってきたものである。実行委員の心配をよそに、続々と村民が会場へつめかけてきた。 体力づくりの実演から 健康まつりの午前の部は、まず体力づくり。ジャズ体操、ストレッチ体操、ヨガなど、それぞれ得意とする村民が指導者となって教えている。
続いて、ゆっくりとしたストレッチ体操。体育指導員からは「いつでも、どこでも、誰にでも生活の中でできるのがこのストレッチ体操です」と説明がある。 ヨガは和室。そっと襖を開けると、ホールとはうって変わって、咳ひとつない静かさ。病院の小林栄子保健婦を中心に、なにやらのポーズ。 指導員が展示の説明に 体力づくりの実演と同時に、ホールでは各種のパネルにより、展示発表が行われている。ガン予防コーナー、老化防止コーナー、それに衛生指導員が全員でまとめた「健康管理25年の歩み」など、いずれも、現代のものを先取りしたような内容である。指導員がそれぞれ分担して、熱心に説明している。 その他、「あわてて失敗しないために」という救急法の映画上映や、希望者に対しての健康相談もあった。 手づくりのおやつコーナーでは、婦人の健康づくり推進委員が腕によりをかけてつくった各種おやつがなかなかの人気。 やがて昼食。婦人部の手づくりのとり釜飯がみんなに配られる。お昼のアトラクションは、天神町の人たちの踊り。それを見ながら箸を動かす。病院のコーラス部も駆けつけ、「巡回検診隊の歌」で盛り上げてくれる。 アンケート結果を発表 午後になって、いよいよ健康まつりのメインテーマである体験・経験発表が始まる。がんや脳卒中になった体験から、予防の大切さを訴えた発表、有機農業野菜づくりと健康づくり、環境問題と健康についての発表など、なかなか多彩なテーマが続く。
そして最後は、井出正指導員が、衛生指導員が毎晩みんなで苦労してまとめた「健康管理住民アンケート結果から」を発表。病気に対する意識、健康検診に対する考え、生活実態などに分けて住民の考えを紹介した。そして「病気になると怖い、大変だということは、村民のみなさんはよく分かっている。しかし病気にならないために、また病気を早く発見し早く治すということが行動としては出ていない。自分の健康を守るということに、もっと積極的に取り組もうではないか」と結んだ。 これは長年、健康管理に取り組んできても、村民の健康意識はまだ不十分であるという、いささかショッキングな内容であった。 最後に若月院長が講評に立ち、「医者や保健婦だけが住民の健康を守るのではない、住民代表がその立場で働き、いろいろ意見を出すことが大事だ」とのまとめがあった。 新たな一歩を踏み出す かくして第1回の健康まつりは成功裡に終わった。集まった村民は最終的には300人を超えた。単に講演を聞くのではなく、住民自らが実践や研究をして、その体験発表をする。これは松川町にも学んだことであった。 現在では、多くの地域で「健康まつり」(最近は、健康福祉まつりと変わってきている)が開かれているが、この当時は、住民の中から沸き上がってきたものは、まだ珍しい時代であった。その中で、企画・運営に自分たちで取り組んだ衛生指導員の果たした役割は大きなものがあった。 第1回健康まつりの反省から、次の年からは、「高齢化にそなえての部会」「生活環境の部会」「生活習慣と健康の部会」「健康の仲間づくりの部会」の4つに分けて取り組むことが決まる。 いろいろ苦労しながらも、村の人たち自身がつくり上げていった健康まつり。これからの健康な村づくりに、新たな一歩を踏み出したのであった。 (かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
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