「佐藤君、4月4日から3日間ドクターヘリの研修に行ってくれないか?」
突然の辞令でした。2005年4月に私は、静岡県の聖隷三方原病院を基地病院として運航されていた静岡県西部ドクターヘリの搭乗研修に行くことになりました。7月に迫った信州ドクターヘリの準備の一環でした。当時外科に在籍しつつICUと救急をお手伝いさせていただいていた身としては、ドクターヘリにまさか自分が搭乗することになるとは思ってもみませんでした。
静岡へ向かう新幹線の中、救急医療についての体系的な研修や実践経験の乏しさから来る不安でいっぱいでした。いつもなら椅子に座っても、オペ室の床でも、数秒で眠りにつく自分が、研修前夜のホテルではよく眠れませんでした。
翌朝、岡田眞人先生他運航クルーに連れられて、ドクターヘリを初めて見ました。その時の感動を今も忘れません。その午後には初フライト。76歳女性の意識障害事案でした。ドクターヘリ要請からわずか8分で、医師と看護師は患者さんに接触し、治療が始まりました。
当時、佐久総合病院では、ホットラインから30分しても到着しない救急車が少なくありませんでした。医療スタッフはただ待つしかない。そんな状況を当時、研修医上がりの自分は非常に歯がゆく思っていました。しかしそれを何年間も経験するうち、いつしかそれを当然と受け止めてしまっていました。そのため、時間を克服するこのドクターヘリというシステムに、私は両頬を叩かれて目を覚まさせられた気がしました。
“Where There Is No Doctor (医者のいないところで) ”の著者で、プライマリ・ヘルス・ケアの第一人者であるデビッド・ワーナー氏の精神と、若月先生の著書『村で病気とたたかう』の中の精神には、共通性が多く見受けられると言います。その精神の息づくこの病院で、「医者のいないところへ」医者を派遣する信州ドクターヘリは、5年目を迎えました。地に根を生やして取り組む保健・医療・福祉と、超急性期に特化した医療との違いはあるにしろ、「住民の中へ」の精神を日々の診療で実践していることに運命的なものを感じます。初めてのドクターヘリとの出会い、興奮を今後も忘れず、今日も「医者のいない」現場からの要請に全力で応えたいと思います。
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