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 最近では、将来なりたいものに「フライトドクター」と答える子どもが出てきたらしい。テレビドラマの影響も大きいようだ。お医者さんは人気の職業らしいし、ヘリコプターもかっこよく見えるから、その2つが合体した「フライトドクター」は、たしかにヒーローのイメージに合致するかもしれない。その無垢なイメージを保って、がんばってフライトドクターになってくれ。で、将来、私や私の家族が大けがしたり急病になったとき、飛んできてくれ。

 2005年7月から始まり、合計1500件近くの出動件数を信州ドクターヘリは重ねてきた。そのうちの200件ほどを私は担当した。しかしいまだにドクターヘリは難しいと思う。救急外来で患者を待っている救急医療は、やることはだいたいパターン化されているが、ドクヘリは何といっても現場医療である。現場状況が一つひとつの事案で全く異なる。しかも出動中も状況はどんどん変化していく。最適最善を尽くそうと思っても「変数」がきわめて多く、「解」を導くのにしばしば苦労させられる。

 天候、出動地域、日没時刻、現場の標高、残燃料、着陸地点、傷病者との接触方法、付き添い人の有無といったヘリ運航に関係する諸条件がまず多い。日没時間切れや天候不良で現場投入となることもある。傷病者の数、傷病程度、接触までになされた処置、診断・処置の方法およびそれに要する時間、医療機関までの距離、曜日による医療体制の変動、傷病者の居住地、これらもすべてプランに影響する変数である。自分がヘリ酔いしないかどうかも心配しないといけない。キヨスクの「梅ぽし純mini」は私の必携である。

 対応する状況もさまざまである。標高2000mのゲレンデ上や登山道のピークやコルフ場のラフで心肺蘇生をやれとか、橋の下に降りていけとか、水を張った田んぼに入れとか、患者のところまでこのスノーモピルの後ろに乗れとか。現場医療だから当然ではあるが、一度も来たことのない不安定な所で医療を展開し、病院内にはない危険や困難状況に直面する。ヘリは怖くないですかとよく訊かれるが、ヘリで飛んでいるときが最も安全で、降りてからが怖いのである。エンジンスタートしてから15分後にはそんなワンダーワールドに突然降り立たされる。「衛生兵」「野戦医療」一見平和そうな日本で、場違いにもそんな単語が思い浮かぶ。

 さまざまなことを予測しながら現場や救急車内で患者に接触する。手順どおり診察をし、外傷や急病の経過を救急隊や家族、目撃者から聞き、ナースに処置を依頼し、または自分で処置しながら、既往歴や内服薬やかかりつけ医の情報をとって、救急隊員にも処置を依頼する。「変数」をすべて計算してプランを決定する。搬送先病院を決定して救急担当者に携帯でここまでの患者情報や処置内容を伝える。ヘリに患者を移し、モ二タリングをして安定していることを確認しエンジンスタートを要請する。傷病者に接触してから離陸するまでの10分から20分でこれだけのことをしなればならない。即断即決、だいたい目と耳と手と口を同時に別々に動かすくらいでないと現場活動時間は短縮できない。患者の予後に関わってくるから、迅速に、臨機応変にが、ドクターヘリのモットーとなる。
 搬送中も投薬したり状態が不安定化しないか観察したり、嘔吐すればその処置をしたりで気が抜けない。搬送先病院へ着けばここまでの経過を説明して引き継ぐ。そして傷病者が最終的に助かるがどうかはアンカー、すなわち搬送先病院の対応にかかっている。帰ると妙な疲労感でぐったりしてしまう。しかしまだミッションは終了していない。医師記録、要するにカルテを書かなければならない。出動が重なるとこのデスクワークもけっこう大変だ。ナースは次の出動の準備にすくとりかかる。

 少しはいいところも言わないとまずい。最速でロスなく患者にアクセスできたとき、難所をなんとか乗り切って患者が安定したとき、スムーズに搬送先病院に引き継げたとき、ドクヘリが患者救命に役立ったと思えるとき、そういうときには、すなおに「おっしゃ〜!」「グッジョブ!」と親指を立ててみせたくなる。やりがい、医者としての充実感が湧き上がる。

 ドクターヘリというツールは、駅伝の第3走者にすぎない。たまたま傷病者の近くに居合わせた人の対応から始まり、救急隊の初期対応、ドクターヘリ運行スタッフの努力、フライトドクター・フライトナース・救急隊が協力した現場医療、搬送先病院の努力による決定的治療。多くの人々が支えリレーするこの救急システムがうまくつながって、やっと人を助けることが可能となる。一人のヒーローがいればすべて解決するわけではないのである。あえていうなら、ドクターヘリを含んだ救急医療システム、このチーム全体がヒーローになりうるのである。

 苦労が多く、面倒で、危険で、汚く、一人では何もできない、そんな、ヒーローとはほど遠いフライトドクターでもやってみたいと、夢を目標にかえて実現しようとする勇気ある若い世代に、これからたすきを渡していきたい。


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