〜「農民とともに」No.85〜
八千穂村健康管理 |
八千穂村健康祭りで 1989(平成元)年11月12日、八千穂村福祉センター大ホールは、村の各地区から集まった人たちで異様な熱気に包まれていた。参加者のために床に敷かれた茣蓙は、すでに隙間なく埋めつくされている。第6回健康まつりの最後のプログラム、劇「看る」が間もなく始まろうとしていた。 健康まつりに劇を上演するようになったのは、当時からさらに数年前のことだが、今や健康まつりの演し物としてすっかり定着し、村の人たちも毎回それを楽しみに集まるようになっていた。 「看る」というのは、看護する、介護するという意味だが、ここでは、家庭での寝たきり老人の介護のことを指している。今ではふつうのことになったが、当時としては漸く老人介護の問題が論議されるようになったときで、健康まつりでも、2年前にボケ老人の介護を取り上げて以来、2度目の取り組みであった。 介護人の苦労をえがく やがて幕があく。農村に多い三世代家族の家が舞台である。 父が会社員で、母が寝たきりの祖父の面倒をみている。しかしもう10年も経つので、母は看病疲れで体の具合が悪い。一度診察を受けようと病院へ行った留守に、祖父が息を引き取ってしまう。案の定、駆けつけてきた親戚や父の兄弟たちから「嫁のくせにちゃんと看ていなかった」「病人をほっぽりだして家を空けるなんて」とひどい叱責を受ける。 ![]() 劇進行中にハプニング 寝たきり者を介護する家の人の苦労は並大抵ではない。親戚や兄弟は一向に姿を見せず、文句だけは言うというのは、よくある話である。手は出さぬが口は出すのである。これが介護する人をさらに苦しめる。 ところで、劇の進行中にハプニングが起こった。父の妹役をやった女性が演技ではなく本当に泣き出してしまったのだ。自分も介護をやったことがあり、母の苦労や心情がよく分かる。その気持ちを察して胸にジーンときたらしい。劇と自分の体験が重なってしまったのだ。 観客もいっせいに泣く。みな同じような体験を持っているのである。劇は感動の渦の中で幕を閉じた。 ビデオを持って地域へ 当時、臼田町農協で生活指導員をやっていた武田巳智子さんもこれを見て大いに感動し、衝撃を受けた一人である。早速そのビデオを借りて、町の全地区を上映して回った。 どこでも皆泣いた。机上でつくられた内容ではなく、言わば隣の家の問題が劇になっているため、これは他人ごとではない。自分のことと考えあわせて胸におちるのである。 武田さんは、この劇を見て以来婦人部活動のやり方が変わってしまったという。演劇というこんな分かりやすい問題提起のやり方があったのかと、あらためて劇のすばらしさを感じた。 以来、自らも、また婦人部の役員も含めて、地域を回って劇を上演するようになる。お年寄りの問題はとても深刻だというのは、各人の胸の中にはあるが、近所の例は当たり障りがあるので、なかなか具体的に口に出しては言いにくい。しかし劇を見て考えるとなると、これは当たり障りなく物が言える。劇で問題提起しながら、その後で話し合うという健康教育方式ができ上がった。 劇は衛生指導員のいのち 劇「看る」は、八千穂村衛生指導員のときに高見沢佳秀さんが作った第5作目の劇である。健康まつり当日上演したのも、衛生指導員全員が取り組んだ。女性の配役は保健婦さんや婦人の健康づくり推進員の手を借りたが、その他の配役や裏方は衛生指導員が中心となってつくり上げた。 ![]() 住民の中の保健活動家である衛生指導員、これは八千穂村独自の組織だが、もう40数年の歴史を持つ。任期は4年だが、何期も続ける人もいる。当初とメンバーは全く変わっているが、その活動はずっと受け継がれている。 衝生指導員というのはどうして生まれたか。今までどんな活動を行ってきたか。その歩みを一つひとつ辿ってみることにしよう。 (かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
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