〜「農民とともに」No.94〜
八千穂村健康管理 |
地区の人々に助けられて 期待と不安のなか八千穂村健診の第1日目は、昭和34年12月14日鷽の口地区から始まった。 標高1000メートルの鷽の口地区は、気にしていたとおり小雪が舞っていた。 地区担当の衛生指導員さんや区長さん、婦人会の方々が、昔からの知り合いのように、人のよい顔で迎えてくれた。 会場の公民館は、大きな玄関から入るとそのまますぐ大広間で、ほとんど氷点下の外気と変わらない気温。区長さんたちがこの寒さに負けまいと、いろりにたくさんの薪をくべて、暖房を気づかってくれている。 検尿に肥え桶も登場 急いで健診会場の設営をするが、なかなか想定していたようにはいかない。診察ベッドは長い座り机を2段重ねて、これに布団を敷いてできたが、3診分の机や椅子が集まらない。何しろ椅子は6脚は必要で、近くの家から子どもの勉強机や椅子、ミシンの椅子、踏み台まで借りてもらう。
村の人たちと大騒ぎで設営が終わり、検尿検便のコーナーをみると、いつの間にか、検査後の検尿コップを捨てる入れ物に、なんと肥え桶が据え置かれていたのには、驚きつつも感心したりした。 それでもスムーズに準備が整った陰には、前日からの衛生指導員さんや衛生部長さんのご苦労があったからだ。公民館の床やトイレ、台所の掃除や、障子の破れの繕い、水が凍り付いていないかの点検、いろりの薪の準備、さらに診察用の布団や枕などを予め用意してくれていた。 井戸端話がおもしろい この寒さに出足を心配したがそれは杞憂で、開始より30分も早くから、人々が雪道をついて集まって、いろりや火鉢の周りで賑やかに話を弾ませている。収穫や蚕のできぐあい、誰それさんがケガをしたなど。 村じゅうの人が一緒に顔を合わせることは滅多にないわけで、この健診は村で初めての一大行事になっている様子である。私たちもまたこういう井戸端会議から、仕事や暮らしなど、身近にいろいろな話が聞けて勉強になる。 受付は衛生指導員で 受付では、衛生指導員の井出佐千雄さんが、衛生部長さんらと受付名簿をにらんでいる。まだ何人かの人が来ていないとのこと。 衛生指導員は来ない人の家を訪ね歩いて受診を勧めながら、村の人の思いなどの情報を集めてくる。鷽の口は営林署の山仕事に就いている人が多く、冬は山に泊まり込みで家にいない人もいる。 初めての珍しさでほとんどの人が出てきていたが、雪道で老人が外に出たくないとか、「病気でもないのに医者に診てもらうなんて嫌だ」という人もいた。 尿コップはもったいない もうもうとたつ煙と人いきれ。耳の遠いお年寄りの耳元に、大声で話しかける問診係の声。「これにおしっこをとって来てください」と、尿コップを渡したおばさんがなかなか戻らない。「こんなきれいなコップにもったいない」と、なんと家まで壊れた急須を取りに行き、それに尿をとってきたのだった。また、体重計の上に乗ってくださいというと、これに腰掛けて動こうともしないおじいちゃんもいる。 受ける人も検査の側も初めての体験であれば、説明も慣れないためか、真面目になっておかしなことが起こる。ざわざわと活気のある健診風景である。 血圧も上がるすきま風
しかし受診者は、防寒用に綿入れやネルの厚い下着で着ぶくれていて、袖をまくるぐらいでは測れない。やむなく「少しだけ脱いでネ」というそばから、バサッとそっくり肌着まで一気に脱いでしまうおばあさん。これでは血圧が上がってしまうと、あわててももう遅く、案の定血圧は182の98とひどく高い。 血圧の高い人が続くが、国道から最も奥にあるこの山の中で、すぐ医者にかかってくださいとも言いかねる。この寒さでは脳卒中も多いはずだ。予防の難しさを教えられる。 血圧の薬が欲しい 衛生指導員の渡辺米人さんのところへ、「血圧の薬がほしい」という人が現れた。渡辺さんは「虫下しの薬はくれるのに、どうして血圧には出さないのかと言われて弱ったよ」と言ってきた。 病院から来て検査や診察をするのだから、治療の薬も出すのが当然と思うのも無理からぬことで、「予防のための健康診断」という意味の理解が難しいことがわかった。 健診が終わって健康台帳を数えてみるが、どうしても人員と合わない。あちこち探していると、外から帰ってきた衛生指導員さんが「今この台帳を持ち帰るおばさんに出会ったからもらってきた」というではないか。自分の名前がついているから、持ち帰って良いと思ったという。 ようやく片付けが終ったのは夜八時すぎ。婦人会の方々が手づくりの夕食を用意してくれた。うどんや煮物、キノコなどの味は格別で、身も心も温まり、一日の疲れを癒してくれた。(かんとりい・とりお) この連載は、健管OBの松島松翠、横山孝子、飯嶋郁夫さん三人の共同執筆によるものです。“かんとりい・とりお”(country trio)とは「田舎の三人組」との意味。 |
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