「医す者として」上映
医す者として
1950年代から30数年にわたり当院の映画部で撮りためた佐久地域、特に南佐久地域で行われた出張診療や全村健康管理の歴史フィルムがグループ現代による企画・制作で「医す者として」(いやすものとして)という映画になりました。
詳細の上映時間等は映画「医す者として」公式サイトにてご確認いただけます。
作品紹介
◇◆「農民とともに」から「地域住民とともに」へ◆◇
長野県佐久市(旧南佐久郡)佐久総合病院。戦後間もなく信州、千曲川沿いにある小さな病院に青年医師・若月俊一(1910~2006)が赴任したことから、この物語は始まる。周辺の農山村への「出張診療」、「全村健康管理」(今でいう健康診断を軸にした健康予防管理活動)を全国に先駆けて行ってきた。また、健康に対する啓蒙活動の一環として取り組んだ「演劇」や「病院まつり」は地域づくりにつながっていく。
昭和の高度経済成長以降の農村地域の過疎・高齢化には、いちはやくたいおうし、医療と福祉の垣根を越えた活動を展開し、住民のニーズに応える=「二足のわらじ」(高度専門医療と地域密着医療)を履き展開してきた佐久総合病院。その実践につらぬかれた志は、いまも多くの人々の心をひきつけている。しかし今、そうした活動を続けてきた佐久総合病院は再構築の時代を迎えている。はたして若月俊一が築いた農村医療の歴史は引き継がれていくのだろうか?
◇◆30万フィートにおよぶフィルム◆◇
佐久病院映画部では、1950年代から30年にわたり、出張診療、手術、患者会、啓蒙演劇、病院まつり・・・など、ありとあらゆる取り組みを16mmフィルムで記録し続けてきた。その量は約30万フィートにおよぶ。歴史的にも貴重なフィルムと、当時を知る人々、現在の病院関係者らの証言とともに、21世紀のいま、未来に向けた映画としてよみがえる。