「医す者として」上映

☆院内上映会のお知らせ☆

映画「医す者として」の院内上映が決まりました!

詳しくはこちらからご覧いただけます。

佐久病院特別企画として、入場無料にてご覧いただけます。

この機に是非足をお運びください。

 

医す者として

1950年代から30数年にわたり当院の映画部で撮りためた佐久地域、特に南佐久地域で行われた出張診療や全村健康管理の歴史フィルムがグループ現代による企画・制作で「医す者として」(いやすものとして)という映画になりました。

ポレポレ東中野にて上映中です。

(2月1日更新)

詳細の上映時間等は映画「医す者として」公式サイトにてご確認いただけます。

「医す者として」について(夏川統括院長)

地元一般公開始まる
映画「(いや)す者として」 
~映像と証言で綴る農村医療の戦後史~
               統括院長 夏川周介
 佐久総合病院の医療史を映像で構成した映画「医(いや)す者として」が昨年12月17日より東京東中野の劇場(ポレポレ東中野)で公開され、予定を大幅に上回るロングランを続けた。(2月24日まで)。公開直後よりマスメディアの反響は大きく、数多くの新聞、雑誌等で紹介され、二つの映画賞を受賞する栄にも浴している。一つは日本で最も権威のある映画賞「2011年第85回キネマ旬報ベストテン」の第7位、もう一つは日本映画ペンクラブ映画賞年間ベスト5の第2位である。
 従業員組合文化部映画班として発足した佐久病院の映画部は、昭和27年より平成の初頭まで精力的な活動を行い、保存されてきた16ミリ映像フィルムは約25万フィートにもおよぶ。映画関係者によると小さな映画製作会社よりも多い量だという。発足の経緯は「村で病気とたたかう」(若月俊一著)によると、無医地区への出張診療の際に演劇や紙芝居を用いて病気の怖さや予防の大切さを理解してもらう活動に限界が見えてきたため、その活動を受け継ぐ形でスタートしたとある。映画部の年間通した活動は病院内外の出来事を可能な限り記録し、年末には“佐久病院一年の歩み”として一本の記録映画に編集、クリスマス行事の際に職員とその家族、そして近隣の関係者に披露し人気を博してきた。同時に農村医学啓蒙用として多くの教材映像を制作。また外部の映像制作会社ともタイアップして数々の貴重な作品を世に送り出してきた。
若月俊一先生が平成18年に亡くなられたのをきっかけに、時間とともに劣化する膨大なフィルムを永久保存するためにデジタル化すべく、映像アーカイブプロジェクトが発足した。プロジェクト遂行に当たり「佐久総合病院映画部 農村医療の映像記録保存会」が顧問に若月賞選考委員、委員に元映画部員を中心に、グループ現代・映画監督など映像関係者、また病院や労働組合代表者等の有志によって結成され、大勢の方々のカンパによって保存作業が行われている。その作業の中から、佐久総合病院の歴史的経緯を一本の映像にまとめる企画が浮上し、関係者の情熱と執念が実を結び、このたびの作品誕生となった。なお、プロジェクト推進および映画企画・制作を担ったグループ現代は昭和42年に設立されているが、処女作品が佐久総合病院の協力を得て制作された自主作品「農薬禍」であり、このあと病院映画部と連携して数々の優れた文化作品を制作している。 
今回の映画の概要は副題が示すように、映像と証言で綴る農村医療の戦後史として、佐久総合病院の創成期から発展期の歴史、そして、近年の病院運営の課題と苦悩を映像と関係者の証言によって表現している。初期の無医村への出張診療と演劇班による予防知識の普及活動、つづく集団検診を通じての全村健康管理等にみられる農村医学の疫学的アプローチと並行して「脊椎カリエス手術」に代表される高度医療の実践、さらに昭和45年の地元における国際農村医学会開催に至る発展期へと繋がってゆく。近年は、予想を上回るスピードで進む社会の高齢化を先取りした全国初の老人保健施設の設立や地域ケア科における在宅医療の取り組みなどが紹介されている。そして、現在は佐久総合病院の歴史始まって以来の難事業ともいえる病院再構築計画が進捗するなかで山積する課題を前に苦悩しつつ、立ち向かう幹部の姿が描かれている。
この作品が訴えようとしているものは何か。過去の記録を残すこと、その残し方の重要性、そして映像の持つ計り知れない力などは言うまでもないが、過去は現在につながっていること、決して分断することが出来ないことを示すとともに、歴史を振り返ることによって現在の課題を解決し、未来への道筋が見えてくる可能性を示唆しているものと思われる。
一貫して流れているのは「農民とともに」の精神に基づく“地域の中へ、そして地域住民とともに”の思想的背景であり、佐久総合病院医療の最大の特徴は保健、医療、福祉のシームレスな連携による包括的地域医療の実践であることを示唆している。この考えは多くの職員が共有しているところではあるが、日常的には潜在的意識下におかれ、見失う危険性をはらんでいる。この作品を鑑賞することにより、眠れる意識を取り戻し、新たな自覚を促すことが再構築計画を成功に導き、スムースな次代への地域医療の継承となることと信じている。
3月より、いよいよ地元一般無料公開となる。「医療や健康を守るのは住民一人ひとりである」との若月イズムを次代につなぐためにも、職員はもとより大勢の皆さんの鑑賞を切に希望している。
 

◎公開初日の様子

公式サイトより転用
公式サイトより転用

公開初日の様子をご覧いただく場合はリンク(公式サイト)からどうぞ

 

◎1月7日(土)新春トークに統括院長が登場

公式サイトより転用
公式サイトより転用

「新年初となるトークは、夏川統括院長による新春トーク!
30分以上前から劇場には外にも階段にも長い列ができました!」

「地域の人々との対話・交流を重ね築いてきた関係づくりのことや、
国内のみならず世界的にも注目されている病院再構築に向け、
佐久病院の履いてきた「二足のわらじ」(「地域医療」と「高度医療」)を
どう受け継いでいくのかなど、時おり笑いを交えながらお話しいただき、
新年の幕開けにふさわしい新春トークとなりました!」

(『医す者として』公式ウェブサイトより)

リンクはこちら

◎日本映画ペンクラブ/キネマ旬報ベスト10 W受賞!!

「医す者として」が

【2011年度 日本映画ペンクラブ・ベスト5<文化映画部門 第2位>】
【2011年 第85回キネマ旬報ベスト・テン<文化映画 第7位>】

を同時受賞しました!!

作品紹介

◇◆「農民とともに」から「地域住民とともに」へ◆◇

長野県佐久市(旧南佐久郡)佐久総合病院。戦後間もなく信州、千曲川沿いにある小さな病院に青年医師・若月俊一(1910~2006)が赴任したことから、この物語は始まる。周辺の農山村への「出張診療」、「全村健康管理」(今でいう健康診断を軸にした健康予防管理活動)を全国に先駆けて行ってきた。また、健康に対する啓蒙活動の一環として取り組んだ「演劇」や「病院まつり」は地域づくりにつながっていく。
昭和の高度経済成長以降の農村地域の過疎・高齢化には、いちはやくたいおうし、医療と福祉の垣根を越えた活動を展開し、住民のニーズに応える=「二足のわらじ」(高度専門医療と地域密着医療)を履き展開してきた佐久総合病院。その実践につらぬかれた志は、いまも多くの人々の心をひきつけている。しかし今、そうした活動を続けてきた佐久総合病院は再構築の時代を迎えている。はたして若月俊一が築いた農村医療の歴史は引き継がれていくのだろうか?

30万フィートにおよぶフィルム◆◇

佐久病院映画部では、1950年代から30年にわたり、出張診療、手術、患者会、啓蒙演劇、病院まつり・・・など、ありとあらゆる取り組みを16mmフィルムで記録し続けてきた。その量は約30万フィートにおよぶ。歴史的にも貴重なフィルムと、当時を知る人々、現在の病院関係者らの証言とともに、21世紀のいま、未来に向けた映画としてよみがえる。