基幹医療センターのコンセプトと再構築の進捗状況(2)

I 知事裁定による三者合意後の進捗状況

 昨年(平成21年)2月7日の知事裁定による三者協議(長野県、佐久市、厚生連・佐久総合病院)が合意に達しました。そして4月には、「世界最高健康都市構想」を掲げ、佐久総合病院の再構築に尽力すると立候補された柳田新市長が誕生し、膠着していた佐久総合病院の再構築問題は、加速度的に動き始めました。

1 住民への説明会

 まず、白田地区住民の不安を解消するため、平成21年7月には4地区での住民説明会が、佐久市の主催で開催されました。住民からは、分割移転反対などのさまざまな意見や要望が出されました。
基幹医療センター建設で政急・急性期・専門医療の提供が今以上に充実すること、地域医療センター(本院)も、生活習慣病の治療や保健・医療・福祉の連携が強化されることを説明し、白田住民にとっても分割再構築が必要なことを説明しました。そこで出された質問・要望を整理した27項目に対しては回答を作成し、平成21年11月に2回目の白田地区住民説明会を行いました。
この間、平成21年9月に佐久市と厚生連は覚書を締結しました。その内容は相互の役割・責務を確認することや、開設時期の明文化(基幹医療センター平成25年度開設、地域医療センター平成28年度開設を目途とする)を計ることで早期に住民の理解を得、再構築を進めることが謳われています。
平成21年12月には、建設予定地の中込中央区において説明会及び佐久市工場団地事業組合への「基幹医療センター建設概要説明会」が行われました。
ここでの主なご意見は、大きく3点ありました。①ドクターヘリの騒音問題、②政急車の騒音問題、③病院ができることによる交通渋滞です。今までの環境が変わることに対してのご心配でした。
こうした心配に対する対応として、平成22年2月にはドクターヘリの試験飛行と騒音測定、また、ドクターヘリの有用性(致命率の向上)を理解していただくための模擬患者搬送訓練などを実施しました。
平成22年3月下旬には、第2回中込中央区住民説明会を行いました。ドクターヘリの騒音測定の結果を説明するとともに、基幹医療センターの配置図や、概観図(診療棟と3階建病棟を分けた基本設計図面)をご覧いただきました。

2 院内での検討

 院内の状況は、こうした周辺の動きに対応するとともに、平成21年7月に「再構築推進本部会議」を立上げ、そのもとに13のワーキンググループや7つの部会・委員会で連日協議が続けられ、「基幹医療センター運営基本計画(案)」「基本設計概念図」の作成を進めています。4月中には基本設計を固め、次の段階である実施設計に入っていきたいと考えています。

3 地域医療連携の検討

 また、医療連携については、「医師会・浅間総合病院・佐久総合病院」 の三者協議を、平成21年6月から都合8回開催し、佐久広域、東信地域の政急医療体制や地域医療の役割分担など、意見交換を行ってきました。佐久市が新たに設置した「佐久市医療体制等連絡懇話会」への提案を行い、今後「覚書」という形でまとめられていく予定です。

4 土地の用途変更と埋蔵文化財調査

 土地の用途変更と埋蔵文化財調査を始める前提は、住民、工業団地の皆様、医師会や浅間病院をはじめとする医療機関のご理解を得ることです。そして、その作業は終盤に差し掛かってきました。平成25年度基幹医療センター開設に向け、さらに努力を重ね地元住民や関係団体、行政のご協力やご理解を得る中で、用途地域の早期変更を目指したいと考えています。

Ⅱ ハードからソフトへの転換と心の再構築

 土地の用途変更、設計が一段落した後の課題を考えてみたいと思います。前述のように、再構築は単なる病院(ハード)の建て替えではありません。「病院完結型医療体制」から「地域完結型医療体制」への転換(ハードもソフトも含む)です。土地の用途変更、設計が再構築のハード面とするならば、これからの重要な点はソフト面です。

1 ソフト面の再構築

 現在までも、13の各ワーキンググループや7つの部会・委員会でソフト面の検討を行い「基幹医療センター運営基本計画(案)」としてまとめてきました。その細部の詰めを行うとともに、現状の佐久病院機能を、両センターに機能分担する姿まで舵取りする必要があります。
これらがソフト面の“内向き”の再構築ならば、ソフト面の“外向き”の再構築も重要です。「地域完結型医療体制」は、佐久病院だけでは実現できないからです。医師会の先生方や他の医療機関との医療連携の再構築を進める必要があります。
ここで重要なのは、あくまでも主役は「住民」である、「地域のニーズ」であるということです。
単に各々の医療機関が自分に都合が良いやり方で連携を考えれば、必ず隙間ができ、地域のニーズと禿離します。「地域のニーズ」をしっかり捉えるとともに、医師会の先生方や他の医療機関との根気強い討論が必要です。「農民とともに」「住民とともに」スローガンを一緒に考え、掲げられる時代が来ることを願っています。
さらに重要な“外向き”の再構築は、「住民の意識」の再構築です。何の病気でも佐久病院に受診するのではなく、地域の医療連携の中で適切な医療機関を選択するという意識の変化が必要です。すでに、佐久市の広報を使っての啓蒙が始まっています。しかし、本当に必要なのは、このような受身の意識の変化ではなく、住民自らが地域の医療機関のあり方を考え、このような医療機関であってほしいと発言し、参加することです。佐久病院の目指し続けてきた「医療の民主化」です。

2 心の再構築

 ソフト面の再構築が、職員、医療関係者、住民の三つの方面で必要なことを見てきました。しかし、その第一歩は、やはり職員の「意識の再構築」、「心の再構築」から始まると思います。
佐久病院の「農民とともに」の精神は変わりません。再構築のビジョン起草委員会でも確認されました。しかし、今回の分割再構築に関しては、いまだに異論や危惧の声があります。佐久病院らしさを失うのではないかとの心配からです。
「佐久病院らしさ」とは何でしょうか? 本当に分割再構築で失うものがあるのでしょうか? 何れにしろ討論が不足しています。私は、佐久病院が「農民とともに」歩む中で、変化した地域のニーズに応えるために、再構築は必要となったと考えています。地域のニーズの変化が再構築を必要とし、基幹医療センターと地域医療センターを求めているのです。

3 先達の「佐久病院の未来への提言」を読む

 1994年、佐久病院の50周年の記念誌『農民とともに五十年』が作られました。その中で佐久病院とかかわりの深い6人の先生方が「佐久病院の未来への提言」を執筆されています。
岩崎条先生(当時一日本医科大学教授)は、「これからの佐久病院がこれまでの流れをすっぱりと断ち切って、新しい方向へとまったく創造的に発展することが必要なときであるかも知れない。だとすれば、単なる目先の方向転換であってはならない。それなりの時代に即した新しい創立理念を作り出すべきであろう。その場合においても、地域住民が医療の主人公であることを忘れてはならない」と述べられています。
大谷藤郎先生(当時一藤楓協会理事長)は、「医療の経済環境がここ用年来変わってきており、ますます厳しくなるなかで、佐久病院としてもこれからも今までのように未来志向的なことを創出し、続けていけるのかどうかということです」と述べられています。
川上武先生(故人・医事評論家)は、「大型化の過程で徐々に進行・拡大してきたク官僚化″はそのひとつであろう。1000床病院の“規模の経済”より、むしろデメリットがおきているのではないかと考えざるをえないことがある」「それにしても、地域の開業医の問題があまり取り上げられていないのは不安である」と危供され、「今必要なのは、幹部の病院の未来を見通す戦略と戦術(技術面、経営面)の確立と、幹部・従業員の団結が最も重要となってくるのは確かであろう」と述べられています。
行天良雄先生(当時一NHK解説委員)は、「佐久病院がかかえている最大の財産は実はこのカリスマであり、最大の危機はこの遺産が余りにも巨額であるために、親の遺産を一代で潰してしまうドラ息子のリスクも、同じように存在しているという点にある」と指摘されています。
水野肇先生(医事評論家)は、「どんな病院もそうだが、特徴のない病院は淘汰される傾向にある。佐久病院も高度の医療技術を持っている、すぐれた病院ではあるが、二次医療を中心とした病院であり、特定機能病院(多くは大学病院)ではない。これまでは農村医療という特殊な分野を得意として発展してきたが、その農村自体が衰退する運命にある以上、これまでとは性格の違う病院に変革しなければならない」と述べられています。宮本憲一先生(当時一立命館大学教授)は、「第一は、患者を単なる受益者から、健康を守る主権者にすることである」「地元の自治体などがもっと佐久病院を総合的に評価し、利用してほしいと考える。また、佐久病院も今後、地元の総合的発展ということについて考慮すべきではないかと考える」「佐久病院が、農村と都市とを結ぶ連帯をつくりだしてくださることをのぞみたい」との三つの提言を述べられています。
いずれも1994年の提言です。その心配や指摘、そして提言はいまだに色あせていません。提言が余りに未来志向過ぎたのでしょうか? そうとは思えません。問題は、せっかくの提言に対して佐久病院はどれだけ真撃に受け取り、内部的な討論を行なってきたか7時代に即した新しい創立理念をどれだけ検討したのか? 新しい病院にむけて戦略と戦術を編み出す真撃な努力をしたか了 ということではないでしょうか。

4 分割再構築(素案)

 2002年3月、『農民とともに』108号において、当時の院長である清水茂文先生から分割再構築を行う「佐久総合病院再構築計画 (素案)」が出されました。その中で清水先生は、「(長期構想プロジェクト((1997年9月~1998年3月))において)次善の策として現状地再構築案を基本方針に決定した。この方針はメディコ・ポリス構想の実現という視点から見ると、『病院を核とした街づくり構想』を明確な根拠・展望もなく先送りし、とりあえず病院の考え方を中心に再構築してしまおうという現実的(すぎる)判断が根底にあった。したがって佐久地域全体の医療(広義の)を、10~20年先を見越して構想する視点が弱かったことを率直に反省しておかなければならない」と述べています。
「佐久総合病院再構築計画(素案)」は、メディコ・ポリスの構想を掲げた新しい病院のあり方を示していました。分割することによって地域のニーズに応えていく、分割することによって機動性を高める、分割することによって医療連携を進めるとともに、街づくりという地域の発展も視野に入れたものでした。佐久病院50周年記念誌の「佐久病院の未来への提言」から8年の歳月がたち、やっと提言に正面から応える案が出されたのです。
しかし、不幸にして土地問題に翻弄される中、この素案が深く検討されることはありませんでした。さらにそれから8年たち、やっとその内容の議論を行うことになりました。それが職員の「意識の再構築」、「心の再構築」であると考えます。

5 心の再構築の進め方

 では、「意識の再構築」、「心の再構築」はこれからどのように進めればよいのでしょうか。抽象的な議論は限界があります。具体的な課題への取り組みを通して行うのが最も相応しいと考えます。(次号に続く)

病 院 再 構 築 検 討 の 経 過
平成12年~ 佐久総合病院再構築基本計画策定プロジェクト委員会で検討。
13年10月 現状地再構築が困難になり、町外移転も含めて再検討と発表。
14年1月 地元臼田町から、現地再構築の要望。
3月 佐久総合病院運営委員会において、急性期・高度医療を中心とした基幹医療センターを佐久市に分割移転する計画が承認される。
14年~16年 地元の住民の皆様や行政・商工会等に再構築の必要性を継続的に訴える。行政・関係者との調整が難航し、再構築計画が遅延。
17年8月 基幹医療センター建設予定地を確保。佐久市中込の約4万坪(工業専用地)を㈱ツガミ様から譲渡。
18年~19年 行政・関係者にお願いと住民の皆様および地区への説明会等開催。
20年10月 長野県・佐久市・厚生連の三者協議が始まる。
21年2月 三者協議で知事裁定により合意形成が図られる。
21年6月 三者懇談会(医師会・浅間総合病院・佐久病院)が始まる。
21年7月 臼田4地区の住民説明会開催。(①再構築計画の基本的な考え方 ②再構築の前提 ③両センターの機能分担の考え方)21年9月佐久市とJA長野厚生連が「覚書」締結。
21年10月 佐久市長から厚生連理事長あての「要請書」が届き回答する。
21年11月 臼田4地区の住民説明会開催。(7月説明会での意見・要望に対する回答。27項目を佐久市と県とともにまとめ説明)。佐久市医療体制等連絡懇話会が始まる。
21年12月 建設予定地住民の皆様及び工業団地事業組合に対し「基幹医療センター建設概要」の説明会。
22年2月 建設予定地の皆様の騒音不安に対するドクターヘリ試験飛行の実施。