病院再構築と健康福祉のまちづくり

1、何故、再構築が必要なのか?

 佐久総合病院の建物は老朽化し、早急に建替える必要があります。駐車場も手狭です。しかし、それだけの問題ならば“建替え”が必要なのであり、“再構築”という言葉を使う必要はありません。何故、“再構築”が必要なのでしょうか? その理由を考えてみましょう。

①佐久病院医療の行き詰まり

 第1に挙げられる理由は、佐久病院の医療提供体制の行き詰まりです。佐久総合病院は、「二足のわらじ」の言葉に表されるように、第一線の医療から専門医療まで包括的に担ってきました。しかし、医療の発達と専門分化の流れの中で、第一線医療と高度医療を、一人の医師が同時に提供することが難しくなってきています。ですから、二つのセンターで“わらじ”を履き分ける再構築が必要です。
第2は、チーム医療の問題です。現代の高度医療は、一人の医師で達成できるものではありません。複数の医師やコメディカル、複数の診療科がチームを組むことで支えられています。この“チーム医療”を行うには、現状の専門科単位での体制では限界がきています。チームの再構築が必要です。
第3は、診療圏の拡大の問題です。佐久総合病院の診療圏は年々拡大し、長野県東信地域全体の基幹病院の役割を担うようになりました。基幹病院としての役割を、より充実するためには、東信地域全体の医療供給体制の再構築が必要です。
第4の問題は、病院運営における“意志決定”の問題です。医療環境や地域社会の変化は、年々激しく、スピードも速くなっています。しかし、病院が巨大化する中で佐久総合病院の意思決定のスピードは、かえって遅くなっています。このままでは病院も、地域も、時代の潮流に取り残されてしまいます。地域とともに、スピーディーに病院運営ができるように、病院運営における“意思決定”の仕組みの再構築が必要です。
第5の問題は、“病院基本理念”の弱体化、“地域の中へ”出て行く姿勢の弱体化です。病院がさまざまな機能を担う中で、「農民とともに」「地域の中へ」といった佐久病院の基本姿勢が揺らいでいます。病院基本理念を再構築する必要があります。

②医療崩壊の進行

 次に、医療崩壊の問題です。小泉内閣のもとで作られた“骨太の方針2006”は、毎年2200億円もの社会保障関連費抑制の方針を打ち出しました。これに伴う過度な医療費抑制政策は基本的には現在も続いており、全国での医師不足や病院閉鎖という“医療崩壊”を招きました。
長野県東信地域でも、診療科の減少や縮小、病棟閉鎖などが起きています。東信地域、佐久地域の地域医療を守るためには、佐久病院だけでなく、他の病院や開業医を含めた医療供給の再構築が必要です。

③グローバル化と地域コミュニティの崩壊

 国民国家・個人の社会・資本主義が相互的に結び合いながら生まれた近代社会は、“地域社会”にさまざまな変貌をもたらしています。
金融資本主義、市場経済至上主義は、経済のグローバル化をもたらしました。近年、食品の産地偽装事件や毒入り餃子事件など、生命や健康に関わる事件や、原油価格の高騰や金融危機など、経済的な基盤を揺るがす事件が、グローバル化によって引き起こされました。現代は、人類が狩猟をその生活の糧としていた時代と同様、予測不能な社会になりました。
市民社会、個人の社会は、情報のIT化の力をえて、顔の見えない隣人を作り出しました。情報社会は、事件や社会問題を他人事にし、経験、常識、文化、伝承などは、軽視されるようになりました。
労働は、貨幣に交換されるものとなりました。雇用は、“交換可能なパーツとしての個”として、いつでも取替え可能なものになりました。雇用は軽視され、リストラの嵐が吹き荒れ、格差社会を生み出しました。
それにともない、社会と地域のあり方も変貌しました。少子高齢化、高齢者の介護、老老介護、核家族、晩婚・未婚、シングルマザー、格差社会、SEX格差、不登校、いじめ、心身症、学歴社会、ゲーム(共感力の低下)、コミュニティの崩壊、自殺の増加、不況、派遣労働、フリーター、ニート、ホームレス‥‥‥。キー・ワードを並べただけで、地域の変貌と暮らしにくさが見えてきます。
医療機関は、弱者が集まる場所です。その問題点も見えやすい場所です。佐久総合病院は、「農民とともに」「地域とともに」と掲げ、そのニードを汲み取り、ニードにあわせた地域医療の提供を行う努力をしてきました。しかし、地域の変貌、コミュニティの崩壊は、地域を家庭ごとに、世代ごとに、個人ごとにバラバラにし、地域のニードをバラバラにし、地域のニードを掴もうとしても、地域自体が崩壊し、相手が見えなくなってきているのです。地域自体の、コミュニティの再生・再構築が必要なのです。
 

2、再構築実現にむけての基本的な考え方

佐久総合病院運営委員会資料より

 佐久総合病院の再構築の基本的な考え方を、院外委員で構成される運営委員会に出された資料で見てみたいと思います。
佐久総合病院の再構築は、単なる病院の建替えではなく、東信地域全体の医療供給システムの見直しに繋がります。従って、医師会の皆さんや他の医療機関のみならず、地域住民の方々のご理解とご協力が必要です。
①佐久総合病院は、「いつでも、どこでも、誰でも必要なときに必要な医療サービスが受けられる」ことを目標に、医療を行ってきました。「二足のわらじ」の言葉に表されるように、第一線の医療から専門医療まで包括的に担ってきました。医療の高度化、専門化と診療圏拡大の流れの中で、より広域に従来どおりの医療を提供することは不可能になってきています。このことは「病院完結型医療体制」から多施設連携による「地域完結型医療体制」への転換を余儀なくされるものです。
そこで、地域の医師会の先生方や他の医療機関のご協力を得ながら、地域全体で「二足のわらじ」を履き、医療の提供が滞らないことを考えることにしました。それが、今回の再構築の提案です。
②基幹医療センターは、紹介型の病院を目指した救急・急性期医療・専門医療に特化した病院です。風邪などの一般的な病気での受診は差し控えていただき、他の医療機関や地域医療センターを受診していただくことになります。
③夜間・休日の救急患者は、医師会の先生方や他の医療機関のご協力をえながら、1次救急(風邪などの軽い病気)患者さんは基幹医療センターに集中しないシステムを構築したいと考えております。
④基幹医療センターは、急性期の治療を行います。急性期の治療が済み次第、転院をお願いすることになります。滞りなく転院ができますように、他の医療機関との連携を密にすることが重要課題です(地域医療連携室の機能強化)。
⑥地域医療センターは、従来の佐久総合病院を引継ぎ、生活習慣病を中心とした慢性疾患の指導・教育・学習のセンターとして生まれ変わります。また、保健、福祉の分野を拡充して、保健・福祉のまちづくりを推進します(他施設、団体、住民参加)。
本来、医療は住民のものです。しかし、この“基本的な考え方”では、最後に“住民参加”が小さく書かれているだけです。ですから、この“基本的な考え方”は不十分なものです。地域医療センターの機能と戦略を考える中で、その点を明らかにしていきたいと思います。

3、地域医療とは?

 地域医療センターの「地域医療」という言葉は、定義がはっきりしないままに、よく使われる便利な言葉です。「地域医療の充実のために」「地域医療の崩壊のなかで」等々、地域医療という言葉を付けるだけで問題が解決した印象を与えてしまいます。地域医療センターの構成を明らかにするために、まずは「地域医療」という言葉を考えてみたいと思います。
医療には、二つの側面があります。一つ目は、「医学としての医療」の側面です。医学は、科学的な検証を行いながら発展してきました。従って、科学的な根拠を持った医療の実践や新たな研究成果の導入が重要であるのは言うまでもありません。自然科学の世界において、科学的に証明されたものは、どこの場所においても普遍的な真理とみなされます。「医学としての医療」は、「世界中どこでも通用する医療」と言い換えてもよいかもしれません。それは、「空間的普遍性」があると言い換えてもよいかと思います。
しかし、医療は地域住民や地域への医学の適応であるため、地域の特性に合わせた医療を行うことも重要です。これが二つ目の「地域医療としての医療」の側面です。実践される医療は地域に働きかけるわけですので、地域や地域住民の医療や健康に対する意識を変化させます。さらに変化した地域や地域住民の意識は医療に働きかけ医療を変化させます。その関係の中で医療は地域に根ざし、地域の歴史や文化となっていきます。『地域医療とは、医療が地域の歴史や文化となること』と定義したいと思います。そして、「歴史や文化になること」とは、「時間的普遍性」があると言い換えてもよいかと思います。
以上から、「地域医療としての医療」は、医療の時間的普遍性に着目した概念であり、「医学としての医療」は、医療の空間的普遍性に着目した概念であるとわかりました。もちろん、この二つの概念は対立するものではなく、グラフの縦軸・横軸のようなものです。
この、医療の二つの側面を考えるといろいろな問題が、はっきりしてきます。「地域医療と高度医療」とよく対比されますが、「地域医療」の対概念は、「高度医療」ではありません。「高度医療」の対概念は、あえて言えば「一般医療」でしょう。「専門医療」の対概念はどうでしょうか? 専門分化という言葉を考えれば、「専門医療」の対概念は「総合医療」でしょう。それでは、「地域医療」の対概念は何でしょう? 実は、「地域医療」の対概念は存在しないと考えます。
 

4、地域で健康を守るとは?

 健康・福祉のまちづくりを考えるにあたって、次の問題は「健康」と「地域」の関係です。健康は「個人」の問題であり、地域は「集団」の問題と考えられることが多いと思います。「自分の健康は、自分の手で守りましょう」と言われれば、当然のことのように思います。しかし、本当に健康は個人の手で守れるのでしょうか? 日本福祉大学の近藤克則先生の著作『健康格差社会』を参考にして考えてみたいと思います。

①WHOの健康の定義

 WHOの健康の定義は、健康を「肉体的、精神的及び社会的に完全な状態であり、たんに疾病または病弱の存在しないことではない」としています。
社会的に健康とは何か。難しい問題です。貧困や差別のみならず、住居、雇用や教育などの問題も健康に大きく関わっています。そして、戦争は最も深刻な健康問題と考えられます。     
社会の最小単位は「家族」です。その次が「地域」や「まち」ではないでしょうか。いじめ、引きこもり、ニートなどは、れっきとした健康問題です。“平和ボケした”日本だからこそ、しっかりと捉える必要があります。

②健康格差社会(相対所得仮説)

 社会経済階層が低い階層の人々には、高い階層の人々に比べ、健康問題が大きいということは、今や常識になっています。そして格差社会は、単なる地位や収入の問題だけでなく健康の不平等を生み出す「健康格差社会」であるといわれてきています。
「所得が少ない人たちに、健康問題が発生しやすい」と考えれば、理解はしやすいと考えます。実際、国際比較研究では、「貧困国ほど寿命が短い」ということが、発展途上の貧しい国々ではみられます。しかし、「経済格差が拡大すると不健康が増える」といわれるとどうでしょう。
一人当たりの年間所得が5000ドルぐらいまでは、所得が多い国ほど健康指数は改善します。しかし、それを越えた豊かな国では、経済的な豊かさと健康の関連はなくなってしまいます。変わって、経済格差(=所得の不平等度)の大きい国ほど、国民の健康度が低いという結果が出たのです。
格差社会のなかの「勝ち組」になることは、健康という観点でみれば、決して安心できる状態ではないということです。むしろ、程々の裕福さを満たした国は、「勝ち組」「負け組」などの言葉が必要ない、格差のない社会の方が健康でいられるのです。

③ソーシャル・キャピタル

 「一般に、人は信頼できますか?」「人は、他の人の役に立とうとすると思いますか?」「いくつのスポーツクラブ、文化サークル、NPOなどに参加していますか?」などの質問に、皆さんはどう答えるでしょう。コミュニティにおいて、構成員が持っているこのような相互の信頼感や互酬・互助意識、ネットワークへの積極的参加などが、“ソーシャル・キャピタル”と呼ばれるものです。
ソーシャル・キャピタルが豊かな地域ほど、住民の主観的な健康感が高く、死亡率が低く、合計特殊出生率が高く、自殺が少なく、殺人などの凶悪犯罪も少ないとのことです。さらに、「ボランティア活動行動者率」が高い都道府県(日本)ほど、刑法犯認知件数が少ないのです。社会のありようは、健康に結びついています。

④ハイリスク・ストラテジーとポピュレーション・ストラテジー

 ハイリスク・ストラテジーとは、疾患を発症しやすい高いリスクを持った個人を対象に絞り込んだ健康指導の戦略です。公衆衛生上の問題が伝染病から生活習慣病へ移ったのにつれ、減塩指導や禁煙指導に代表されるような個人の生活習慣や行動の変容をめざすアプローチが現在の健康対策の中心となっています(健康日本21、特定検診など)。
しかし、このハイリスク・ストラテジーは、その効果はほとんど否定されています。例えば、集中的な禁煙指導で、指導しなかった群の5.4%に比べ4倍(21.7%)の禁煙成功率が得られ、総死亡率が15%減少したといっても、減らせた死亡者は1000人に指導して1年あたり1.55人にとどまるのです。イギリスでは「壮大な無駄」とまでいわれるこの戦略が、何故か日本ではまかりとおっています。
それに対し、ポピュレーション・ストラテジーとは、対象を一部に限定しない集団全体への戦略です。リスクが集団全体に広く分布している場合にとくに有効です。例えば、平均血圧をたった3%下げることで、高血圧のために医療機関を受診する人の数を4分の1減らすことができるのです。
日本でも健康増進法で導入された“職場での禁煙”を義務付けると、喫煙率は3.8%減るといわれています。イギリスでは加工食品への塩分添加量の規制を検討しているとのことです。
また、脂肪(コレステロール)を多く含む食品(牛乳、チーズ、バターなど)への課税の可能性が提案されています。そのレポートでは、課税によりコレステロールを多く含む食品の摂取量が減れば、虚血性心疾患の発症率が1.8~2.6%減り、年間死亡患者数が1800~2500人減ると推測されています。

5、地域を健康にする医療

 以上から、健康を個人で守るものとする考えが、偏った考えで、効果を生まないものであることを解っていただけたでしょうか? 近代社会の“個人の社会” 化によって歪められた健康感は、健康さえも個人の責任に転化し、健康における「勝ち組」、「負け組」を作ってしまう危険性があります。
昨年4月に導入された「特定健診」は、ハイリスク・ストラテジーの手法を用い、検診でスクリーニングされたハイリスクの住民に指導を行います。そして、その責任を個人までには還元しませんが、その個人が所属する健康保険の保険料率に反映させることで、健康への「責任」を転嫁します。健康を害した住民は、健康保険の中のお荷物とみなされ差別を受ける危惧さえあります。介護予防の名の下で行われる、「特定高齢者」も根本の思想は同じです。
格差社会の中で「勝ち組」「負け組」との言葉が用いられています。健康までもが、競争社会の中に取り込まれていけば、格差社会はますます拡大し「豊かな社会」とは正反対なものになるでしょう。病気になり困難に直面した人、希望をなくした人に、温かな手を差し伸べるのが、本来の医療の姿だと考えます。
「自分の健康は、自分の手で守りましょう」との合言葉の中に含まれる危険な思想を考えてきました。健康は、個人の手だけで守るものではなく、みんなでも守るものです。「みんなの健康を、みんなで守りましょう」との合言葉が、私たちには相応しいと考えます。
地域医療センターは、“みんなの健康を守る”センター、“地域を健康にする”センターです。このコンセプトは、地域医療を守るすべての医療機関(佐久病院周辺でいえば、浅間病院や千曲病院、小諸厚生病院など)にも当てはまるものだと考えます。そして、それらの医療機関では対応しきれないとき、精密検査や治療にあたるのが基幹医療センターです。ですから、基幹医療センターも、決して地域のニードから離れないように運営されなければなりません。そして、これらすべての医療機関が、地域のニードを実現するために手を握れたときに、真に“地域を健康にする医療”が提供できるようになるのだと考えます。

6、地域医療センターの機能と戦略

 地域医療センターの再構築は、単なる保健・福祉の施設や医療施設のハードの問題ではありません。地域医療のあり方を模索し、充実することは、当然必要です。しかしそれ以上に、住民とともに新しい地域のあり方を問い、コミュニティに、ソーシャル・キャピタルを再構築することなのです。地域の再生、地域の再構築に、地域医療センターの機能を利用していただきたいのです。まずは、佐久総合病院運営委員会の資料から見てみましょう。

・地域医療センターの機能(佐久総合病院運営委員会資料より)

①医療・保健・福祉を包括的に提供する本院。
②慢性期の医療、一般医療(とくに生活習慣病)、リハビリを中心に診療を行う。
③健康管理センター、健康増進センターを中心に保健活動を行う。
④福祉施設を周辺に配置、誘致し、福祉のまちづくりに協力する。
⑤1次~2次の救急を行う。
⑥健康増進センターは、保健・医療・福祉の領域で共同利用する学習・教育のセンター。
保健:健康増進、メタボ対策、健康教室。
医療:生活習慣病の指導・教育、慢性期リハビリ(循環器リハ、呼吸器リハ)。
福祉:介護予防(転倒予防、認知症予防、口腔ケア)。
⑦地域医療センター内の診療の整理を行う。
・一般医療、専門医療、家庭医の役割を1人の医師が掛け持ち(二足のわらじ)してきた状況を整理し、専門分野を中心に診療を行う医師も配置する。
・一般医療や家庭医の役割を、医師会や他の医療機関との連携によって分散化を図る。
以上の説明では、“まちづくり”のイメージがはっきりしません。以下に、“まちづくり”にどのように参加するのか、できるのかを考えてみたいと思います。

・地域医療センターの “まちづくり”戦略

①健康づくり、生活習慣病の学習・指導のセンター。
健康増進センターを新設します。実際に運動できる施設や栄養指導、調理実習などができる施設です。屋外には、ウォーキングコースやテニス場などがあっても良いかと思います。それらを利用し、ハイリスク・ストラテジーとポピュレーション・ストラテジーを組み合わせた地域の健康づくり、生活習慣病の学習・指導のセンターとします。
ハイリスクな患者さんのみならず、一般住民も、お年寄りも利用可能なものとすることで、疾患概念や要介護の概念を越えた健康への取り組みを行います。
②地域と協働し、「保健・医療・福祉の複合体」をめざす。
臼田地区は、高齢者専用住宅やグループホームなどの居住系福祉のサービスメニューが少ないのが実情です。また、授産施設やデイ・ナーシングなども必要かもしれません。しかし、それらの問題は佐久総合病院だけで解決できるものではありません。行政やNPO法人、地域の企業や商店、そして地域住民と協働し作っていく必要があります。
そして、障害の種類や世代で細切れになりやすい施設をなるべくまとめ、施設群として運営することで人々の交流を促し、新しい地域づくりの原動力としていきます。
③健康情報センターをめざす。
よろず相談室を設置し、ばらばらに提供されがちな、健康情報、保健・医療・福祉情報を提供し、発信するセンターとします。
これらの戦略は、地域のニードに基づいた、佐久病院の再構築の戦略であるとともに、崩壊しつつある地域コミュニティの再構築の戦略でもあります。
 

7、健康と福祉のまちづくりと「医、職、食、住、遊、友」の創設

 健康と福祉のまちのイメージは、一般住民、障害者、生活弱者、子どもがいきいきと暮らせるまち、誰もがいきいきと暮らせるまちと考えます。そのために必要なのは「医、職、食、住、友、遊」の創設と考えています。
「医」は、地域医療です。地域医療センターを核として、住民との交流の中で、生活習慣の対策や健康づくり、介護予防をともに考え、行動し、地域として実行に移していきます。
「職」は、職業です。医療・福祉の施設が集まる中で、新たな雇用を生み出すのはもちろんですが、障害者の授産施設なども必要です。病院も一つの事業所として、商工会に参加し医療福祉の関連の商店や産業のバックアップをするのもよいかと考えます。健康関連グッズは、衣料品、生活用品、食料品、健康食品、スポーツ用品など、多岐に渡ります。そのような用品が揃った商店街があってもよいのではないかと考えます。農産品や工業製品で「臼田健康・福祉の里」ブランドを作っていくのもよいかと思います。

「食」は、食事、食料です。臼田の有機農法の活動は歴史あるものです。しかし、ブランドにはなっていません。
プルーンも有望です。長寿のコーカサス地方で元々作られていたプルーンは、ビタミン、ミネラルが豊富で、抗酸化作用のあるポリフェノールも豊富に含まれて います。また、緩下作用もあり「プルーンを食べると通じがよい」のは、臼田では常識です。しかし、健康に絡めた売り方はあまりなされていません。収穫時期 が、お中元、お歳暮の時期の狭間にあるのも問題です。ですが、たとえば、お中元としてJAが発注をうけたら、「収穫までもうしばらくお待ち下さい。最もお いしい時期に、健康長寿のまち“うすだ”から、お送りいたします」とハガキを出すなどの販売方法はどうでしょう?
健康食のレストランや食堂もよいかと考えます。カロリー表示のあるコンビニ弁当やファーストフード店は常識なのに、カロリー表示のあるレストランや食堂はありません。栄養計算を、病院の栄養士が請け負ってもよいかと思います。
「住」は、住宅、居住系福祉施設です。高齢者用住宅と看護師、看護学生の住宅のコレクティブハウス(コレクティブハウ スとは、もともと北欧で始まった居住スタイルです。個々の住宅は、水回りなども含め完結し、プライバシーを確保しながらも、共用のスペースや設備をシェア し、生活の一部を共同化することで、無駄をはぶいた合理的な暮らしを実現するとともに、コミュニティのある暮らしが可能になります。([都市デザインシス テムのホームページより引用])や、シングルマザーと保育所のコラボなどさまざまな可能性があると思います。
建設業からみた健康住宅、バリアフリーの住宅の規格を、健康管理部やリハビリ科と共同開発する可能性もあります。
「遊」は、遊びです。病院には、さまざまなクラブ活動や運動部の活動があります。この活動では、組合の文化活動をもっ と地域に開かれたものにしていくのはどうでしょう。もちろん、行政が行う公民館活動を充実することも重要です。商工会が率先して、商店街の中にサークル活 動が可能な施設を創ることで、さまざまな団体が利用しやすくする方法もあります。自治会で地域対抗の野球大会などを、定例化する方法もあります。
佐久市には、佐久平ノルディック・ウォーキング協会が設立されました。そして、日本で唯一、ノルディック・ウォーキングのストックを生産する会社、株式会 社シナノが佐久市岩村田にあります。ウォーキング・コースを臼田に設けて、健康のまちをアピールしていく方法もあります。
今回、佐久市議会議員に当選された大井岳夫氏は、佐久長聖高校の駅伝での活躍をバネに、佐久を「駅伝のまち」とPRし、全国規模のマラソン大会の実現を公 約に掲げています。また、必要以上の自動車道の整備を行う代わりに、サイクリング・ロードの整備を行い、サイクリングのまちをアピールする方法もあるで しょう。

「友」は、友人です。健康・福祉のまちは、人々の交流なくして生まれません。そして、健康・福祉のまちは、逆に交流を深めます。
病院で重要なのは、患者会です。同じ悩みを持つ人々が助け合うところから、交流は始まると思います。そのためには、病院の窓口機能がばらばらでは、力を発 揮できません。さまざまな医療・健康情報、地域情報を集約した、よろず相談センターを患者図書館と併設し、情報の集約と発信を行う「よろず相談・情報セン ター」を、病院の入り口に整備するのはどうでしょう。行政や農協、商工会とも共同運営し、商店街や特産品、観光施設の紹介もできれば良いと思います。
そして重要なのは、これらの交流を一部にとどまることなく、住民全体、各世代に偏ることなく広げていく努力です。まちづくり版の「ポピュレーション・スト ラテジー」です。各施設やその配置を、いかに各世代や男女の区別なく利用しやすいものにするかによって、自然と交流できるまちづくりが望まれます。
地域医療センターにおいては、商店街や病院を巡る遊歩道やウォーキング・コースを作り、自然と人が集まる場所にできないでしょうか。基幹医療センターにお いては、広大な敷地を生かし、桜並木を保存し、グランドや野球場を整備し、音楽堂を併設し、病院エリア全体を公園化することも考えられます。
世代間の交流で考えれば、学校との交流も重要です。学校の授業に病院のスタッフや商工会の会員、JAの組合員が参加し、子どもの頃から臼田を知り、健康・ 福祉のまちを担う次世代を育てていってはどうでしょう。また、看護専門学校と佐久大学がある佐久平を、健康教育の町に育てていけるかもしれません。逆に佐 久大学と地域企業との共同研究や産学交流も重要と考えます。「学」を付け加える必要があるかもしれません。

8、「まちづくり」の主役は地域住民

 これらによって、世代を超えた交流を起こし「医、職、食、住、遊、友」創設していくことが、「健康と福祉のまちづくり」と考えます。そして、それはソーシャル・キャピタルを豊かにしていくことそのものなのかもしれません。
佐久総合病院の再構築は、建物と医療提供に限れば、佐久病院の中だけでも可能かもしれません。しかし、「健康と福祉のまちづくり」を実現しなければ、本当の意味での健康を私たちは取り戻すことはできません。そのためには佐久病院のみならず、行政、地域の企業、商工会、JAなどとの協働が必要です。そして最も重要なことは、住民一人ひとりが、佐久を愛し、臼田を愛し、自ら「まちづくり」に参加することです。
何故「佐久鯉」は、全国区のブランドにならないのでしょう。鯉料理を置いてない料理店の方が多いのは何故でしょう。それは、住民があまり食べようとしないからです。「鯉? あまり食べない」という声が住民から出る限りブランドにはなりません。海から一番遠いまちに住む住民が、それほど鮮度の良くない海の魚をありがたがって食べているのは滑稽です。
臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナは、主鏡面が直径64メートルの反射鏡となっている大型パラボラアンテナで、その総重量は1980トンあり、世界有数のものです。スタードームは、500円で天体の観察ができます。龍岡城五稜郭は、函館とともに日本に二つしかない五つの稜が星型に突き出た擬洋式城郭です。この事実を住民の何割が説明できるでしょう。佐久の住民、臼田の住民は、佐久のよさを、臼田のよさを本当にわかっているのでしょうか。佐久を、臼田を愛しているのでしょうか。身近なものの、当たり前すぎるものの大切さを知り、それを育てることなしに「まちづくり」は不可能です。
「健康と福祉のまちづくり」の真の主役は、地域住民です。そして最も重要なことは、住民一人ひとりが、佐久を愛し、臼田を愛し、自ら「まちづくり」に参加することです。

参考文献:
「健康格差社会」 2005  近藤克則 医学書院
「里という思想」   2005  内山節    信濃毎日新聞社